「子どもを産むのは当たり前」──あなたもそう思っていませんか?
でも、ちょっと待ってください。その「当たり前」、本当に科学的な根拠があるのでしょうか?
最近、SNSやネット上で「反出生主義」という言葉を目にする機会が増えてきました。「子どもを産まない方がいい」という考え方に対して、「危険な思想だ」「社会を否定している」といった批判の声も多く聞かれます。
しかし、感情的な批判の裏には、実は科学的な議論がほとんどないという驚くべき事実があるのです。
この記事では、生物学、神経科学、進化論といった科学的な視点から、反出生主義について徹底的に検証していきます。あなたが「当たり前」だと思っていた価値観が、実は思い込みに過ぎなかったという事実に、きっと驚かれることでしょう。
- なぜ反出生主義への批判は感情論ばかりなのか?
- 生物学から見た繁殖──それは単なるプログラム
- 「意味」や「価値」は後付けの幻想
- 出生主義こそが非科学的な信仰である
- 「国家」「社会」は共同幻想である
- 戦後日本が作り上げた「出産=善」という神話
- 科学が明かす人間の本質──私たちは有機化合物である
- 人間に「特別さ」は存在しない
- 衝撃の事実──心も自由意志も存在しない
- 人間は高度なプログラムに過ぎない
- 反出生主義者が増えているのは生物学的な密度効果
- 人間社会における密度効果
- r戦略からK戦略への移行
- 反出生主義は「異常」ではなく「適応」
- 「人類が滅びる」は本当に問題なのか?
- あなたも「釣られた」──アルゴリズムの支配
- まとめ──正しさは存在しない
- 結論──科学は自由をもたらす
なぜ反出生主義への批判は感情論ばかりなのか?

反出生主義について議論すると、不思議なことが起こります。
科学的なデータや論文を引用して反論する人が、ほとんどいないのです。
代わりに出てくるのは、こんな言葉ばかりです。
「人間らしくない」「自然の摂理に反している」「社会の存続を考えていない」「極端な思想だ」
これらの言葉には、一つの共通点があります。それは、科学的根拠が一切含まれていないという点です。
すべて、話している人の個人的な価値観や感情、そして社会から刷り込まれた「常識」に基づいた主張なのです。
科学的反論が存在しない理由
ではなぜ、科学的な反論が出てこないのでしょうか?
答えはシンプルです。生物学的・論理的に見て、反出生主義は極めて合理的な立場だからです。
科学は事実を扱います。「水は100度で沸騰する」という事実に、良い悪いはありません。同じように、「人間には生殖能力がある」という事実も、ただの事実です。
しかし、「人間は生殖すべきだ」という主張は、事実ではなく価値判断です。科学は「何が起こるか」を説明しますが、「何をすべきか」は教えてくれません。
つまり、「子どもを作るべき」という主張自体が、すでに科学の領域を超えた、思想や信念の問題なのです。
生物学から見た繁殖──それは単なるプログラム

生物学を学んだことがある方なら、こう聞かれたことがあるかもしれません。
「生物の目的は何ですか?」
多くの人は「子孫を残すことです」と答えます。しかし、これは大きな誤解です。
繁殖に「目的」は存在しない
生物学の基本として、まず理解すべきことがあります。
あらゆる生物の繁殖行動には、本来、目的も意義もありません。
これは感情的な主張ではなく、科学的事実です。
生物は、遺伝子に組み込まれたプログラムに従って行動します。快楽に反応して交尾し、偶然子どもができ、その子どももまた同じプログラムに従って動く──それだけのことなのです。
例えば、サケを考えてみましょう。
サケは川を遡上して産卵し、力尽きて死にます。この行動に「意味」や「目的」があるでしょうか?いいえ、ありません。サケの脳に書き込まれた生物学的プログラムが、そうさせているだけです。
サケは「子孫のため」とか「種の存続のため」などと考えていません。体内のホルモンと遺伝的指令に従って、機械的に動いているだけなのです。
人間も例外ではない
「でも、人間は違うでしょう?」
そう思われるかもしれません。しかし、生物学的には、人間も他の生物と同じです。
私たちが「子どもを持ちたい」と感じるのは、性ホルモンや脳内物質の作用によるものです。「家族を作りたい」「親になりたい」という感情も、進化の過程で子孫を残しやすい個体が生き残った結果として、私たちの脳に組み込まれた反応パターンに過ぎません。
2024年の神経科学研究では、母性本能と呼ばれるものが、オキシトシンとプロラクチンという特定のホルモンの作用であることが明確に示されています。これらのホルモンを人工的に調整すれば、母性的な行動も変化します。
つまり、人間の繁殖行動も、サケや他のあらゆる生物と同様に、生物学的アルゴリズムの実行結果なのです。
「意味」や「価値」は後付けの幻想

ここで重要なポイントがあります。
「子どもを作ることに意味がある」「出産には価値がある」という考え方は、科学的事実ではなく、人間が後から付け加えた解釈だということです。
科学は価値判断を含まない
生物学的には、繁殖はただの化学反応と行動パターンです。
DNA の複製、細胞分裂、ホルモン分泌、神経伝達──これらはすべて物理的・化学的プロセスであり、そこに「意味」や「目的」は含まれていません。
科学の基本原則として、科学は価値判断を含みません。
科学は「何が起こるか」を説明しますが、「何をすべきか」は教えてくれません。水が100度で沸騰することに、良い悪いはありません。
同様に、生物学は「人間は繁殖できる」という事実を説明しますが、「人間は繁殖すべき」とは言いません。
「すべき」は思想の領域
「子どもを作るべき」「社会を維持すべき」という主張は、科学ではなく、思想や価値観の押しつけなのです。
しかし、多くの人はこの区別ができていません。「能力がある」ことと「使わなければならない」ことを、混同してしまっているのです。
人間には走る能力がありますが、毎日マラソンをする義務はありません。人間には歌う能力がありますが、全員がプロの歌手になる必要はありません。
同じように、人間には生殖能力がありますが、それを使う義務は科学的には存在しません。
出生主義こそが非科学的な信仰である
ここまでの説明で、一つの重要な事実が浮かび上がってきます。
科学的に見れば、出生主義こそが根拠のない信仰であるという事実です。
「子どもを作るのが当たり前」という思い込み
多くの人は「人間は子どもを作るのが自然だ」と信じています。
しかし、これは科学的事実でしょうか?答えは「いいえ」です。
確かに、人間には生殖能力があります。しかし、繰り返しになりますが、「能力がある」ことと「使わなければならない」ことは、まったく別の話です。
「子どもを作るべき」という主張は、科学的事実ではなく、社会が作り上げた規範、つまり社会的なルールに過ぎません。
「子孫繁栄」という現代の宗教
「子どもを作って子孫を繁栄させなければならない」「社会を維持しなければならない」
これらは、現代社会で広く信じられている「常識」です。しかし、冷静に考えてみてください。これは科学的根拠に基づいた主張でしょうか?
いいえ、これは社会が決めつけている価値観に過ぎません。
宗教的な信仰には、いくつかの特徴があります。
- 疑問を許さない絶対的な教義
- 従わない者への攻撃や非難
- 恐怖による支配(「社会が崩壊する」といった脅し)
- 根拠のない信念(「昔からそうだった」という理由づけ)
「子どもを産むべき」という価値観は、これらすべての特徴を備えています。子どもを持たない選択をする人を「自分勝手」「社会の敵」と非難し、「少子化で社会が崩壊する」という恐怖を煽り、科学的証拠ではなく「みんながそうしている」という理由で正当化する。
これは、まさに信仰的な思考パターンなのです。
「国家」「社会」は共同幻想である

さらに深く掘り下げてみましょう。
「社会を維持しなければならない」という主張の前提には、「社会」や「国家」が絶対的に守るべき価値であるという思い込みがあります。
国家や社会は物理的実体ではない
しかし、「国家」や「社会」とは何でしょうか?
これらは物理的に存在する実体ではありません。手で触ることも、顕微鏡で観察することもできません。
「国家」や「社会」は、人間が集団で信じることで成立している共同幻想なのです。
貨幣を考えてみてください。紙幣は、ただの紙切れです。しかし、みんなが「これには価値がある」と信じることで、実際に価値を持つようになります。
国家も社会も、同じ仕組みで成立しています。多くの人が「これは大切だ」と信じることで、あたかも実在するかのように機能しているだけです。
個人を犠牲にする論理
つまり、「社会のために子どもを産むべき」という主張は、共同幻想のために個人の人生を犠牲にしろと言っているのと同じなのです。
これは、「神のために命を捧げよ」と説く宗教と、本質的に何も変わりません。
もちろん、社会や国家が無意味だと言っているわけではありません。それらは人間が協力して生きるための便利な枠組みです。
しかし、それが「絶対的な価値」として個人の選択を縛る根拠にはならないのです。
戦後日本が作り上げた「出産=善」という神話
日本で「子どもを作るのが当たり前」という価値観が特に強いのは、歴史的背景があります。
高度経済成長期の価値観
戦後の日本では、高度経済成長期に「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業が強調されました。
この時代、家族を持ち子どもを育てることが「正しい人生」として社会的に推奨されていました。国家は労働力と納税者を増やすために、国民に「産めよ増やせよ」と奨励しました。
メディアや教育も、この価値観を強化しました。テレビドラマは理想的な家族像を描き、学校教育では「将来、お父さんお母さんになる」ことが当然のように語られました。
洗脳のメカニズム
その結果、多くの人は「本能で子どもを作った」のではなく、「周りがそうしていたから」「それが正しいと教えられたから」そうしただけなのです。
これは、宗教的な洗脳と同じメカニズムです。
実際、歴史を振り返れば、人間社会における出産や家族に関する考え方は時代や文化によって大きく変化してきました。
古代ローマでは子どもの数を制限する習慣がありました。中世ヨーロッパでは多くの人々が生涯独身のまま修道院で過ごしました。江戸時代の日本でも、人口抑制のために間引きや堕胎が広く行われていました。
つまり、「子どもを産むのが当たり前」という考え方は、普遍的な真理ではなく、特定の時代の特定の社会で強化された文化的規範に過ぎないのです。
科学が明かす人間の本質──私たちは有機化合物である

ここからは、より根本的な科学的事実に目を向けてみましょう。
人間は化学物質の集合体
まず、基本的な事実から始めます。
人間は、ただの有機化合物です。
これは比喩でも皮肉でもありません。文字通りの科学的事実です。
人間の体は、以下の元素で構成されています。
- 酸素(65%)
- 炭素(18%)
- 水素(10%)
- 窒素(3%)
- カルシウム(1.5%)
- リン(1%)
- その他の微量元素
これらの元素が結合して、タンパク質、脂質、炭水化物、核酸(DNA や RNA)などの有機化合物を形成しています。
あなたの脳も、心臓も、すべての臓器も、化学物質でできています。あなたが「自分」だと感じている意識も、脳という器官で起こる化学反応の産物です。
すべては化学反応
人間の生命活動は、すべて化学反応です。
呼吸は、酸素と有機物が反応してエネルギーを生み出す酸化反応です。消化は、食物の化学結合を酵素で分解する加水分解反応です。
筋肉の動きは、ATP という化学物質の分解によって生じるエネルギーで起こります。神経伝達は、ナトリウムイオンやカリウムイオンの移動という電気化学的プロセスです。
あなたが「考える」とき、脳内ではニューロン間でドーパミン、セロトニン、ノルアドレナリンなどの神経伝達物質が放出され、受容体に結合し、電気信号に変換されています。
これらはすべて、物理法則と化学法則に従った、予測可能なプロセスなのです。
人間に「特別さ」は存在しない
多くの人は、人間には何か特別なものがあると信じています。
「魂」「精神」「人間らしさ」といった、科学では測定できない曖昧な概念です。
DNA レベルでは大差ない
しかし、科学的に見れば、人間は他の生物と同じです。
DNA の構造は、人間もバクテリアも同じ二重らせん構造です。細胞の基本的な仕組みも同じです。エネルギー代謝の方法も同じです。
人間の DNA とチンパンジーの DNA は、98.8%同一です。バナナとさえ、50%の DNA を共有しています。
2024年の最新のゲノム研究では、人間と他の哺乳類の遺伝的差異が想像以上に小さいことが明らかになっています。
つまり、生化学的には、人間は他の生物と連続した存在であり、特別な地位にはありません。
人間中心主義という思想
人間が「特別」だと感じるのは、人間中心主義という思想に基づいた主観的な感情であり、科学的事実ではありません。
私たちが「人間は特別だ」と感じるのは、私たち自身が人間だからです。もし犬が言葉を話せたら、犬たちも「犬は特別だ」と主張するでしょう。
科学は、そうした主観を排除して客観的事実を追求します。その視点から見れば、人間は地球上に存在する数百万種の生物の一つに過ぎないのです。
衝撃の事実──心も自由意志も存在しない
ここで、最も衝撃的な科学的事実をお伝えします。
人間に心や自由意志は存在しません。
心は脳の機能に過ぎない
「心」とは何でしょうか?
多くの人は、心が体とは独立した何か特別なものだと考えています。しかし、神経科学の研究は、この考えが間違いであることを明確に示しています。
脳の特定の部位が損傷すると、性格が変わります。
- 前頭葉が損傷すると、衝動制御ができなくなり、攻撃的になります
- 側頭葉が損傷すると、記憶を形成できなくなります
- 扁桃体が損傷すると、恐怖を感じなくなります
これらの事実は何を意味するでしょうか?
「心」は脳という物理的器官の機能であり、脳が損傷すれば「心」も変化するということです。
もし心が物理的な脳とは独立した「魂」のようなものだとすれば、脳が損傷しても心は変わらないはずです。しかし実際には、脳の状態が変われば、心も変わります。
感情は化学物質の作用
あなたが感じるすべての感情は、脳内の化学物質の作用です。
- 幸福感:セロトニン、ドーパミン、エンドルフィンの分泌
- 恋愛感情:オキシトシン、ドーパミン、ノルアドレナリンの作用
- 不安・恐怖:コルチゾール、アドレナリンの分泌
- 怒り:ノルアドレナリン、テストステロンの作用
- 母性愛:オキシトシン、プロラクチンの作用
これらの化学物質の分泌量を人工的に操作すれば、感情も操作できます。
抗うつ薬は、セロトニンの濃度を調整して気分を変えます。オキシトシンを投与すれば、他者への信頼感が増します。
つまり、あなたが「心の底から」感じていると思っている感情は、脳内で合成された化学物質が受容体に結合した結果に過ぎないのです。
自由意志は幻想である
「自分の行動は自分の意志で決めている」
多くの人がこう信じています。しかし、神経科学の実験は、この信念が幻想であることを示しています。
有名な「リベットの実験」(1983年)では、被験者が「今、手を動かそう」と意識的に決断する約0.5秒前に、すでに脳内で手を動かす準備が始まっていることが確認されました。
さらに、2008年のハインズらの研究では、fMRI(機能的磁気共鳴画像法)を用いて、被験者が意識的に決断する最大10秒前に、その決断の内容を脳活動から予測できることが示されました。
2023年の最新研究でも、この結果は再確認され、さらに詳細なメカニズムが解明されつつあります。
意識は後付けの解釈
これは何を意味するでしょうか?
あなたが「自分の意志で決めた」と感じている行動は、実際には無意識的な脳のプロセスが先に決定し、その後で「自分が決めた」という感覚が作られているだけなのです。
自由意志は、脳が作り出した幻想です。
この事実は、多くの人にとって受け入れがたいものかもしれません。しかし、これは科学的に繰り返し確認されている事実なのです。
人間は高度なプログラムに過ぎない
この事実を受け入れると、驚くべき結論に到達します。
人間は、生物学的アルゴリズムに従って動くプログラムと本質的に変わらない。
コンピュータとの類似性
コンピュータのプログラムは、入力された情報に対して、あらかじめ定められたアルゴリズムに従って処理を行い、出力を返します。
人間の脳も同じです。
外部からの刺激(視覚、聴覚、触覚などの感覚入力)を受け取り、遺伝子と過去の経験によって形成された神経回路(アルゴリズム)で処理し、行動や思考(出力)を生成します。
もちろん、人間の脳はコンピュータよりも遥かに複雑です。しかし、本質的には入力データに対して反応するシステムであることに変わりはありません。
決定論的なシステム
違いは、コンピュータのプログラムは人間が設計したものであり、人間の脳のプログラムは進化という過程で「設計」されたという点だけです。
あなたが「自分で考えて決めた」と思っている選択も、実際には遺伝子、脳内化学物質、過去の記憶、現在の環境刺激などの入力に対する、必然的な出力なのです。
これは決定論と呼ばれる考え方で、現代の神経科学では広く受け入れられつつあります。
反出生主義者が増えているのは生物学的な密度効果
さて、ここからが本題です。
反出生主義者が増えているのも、実は生物学的なメカニズムで説明できるのです。
密度効果とは何か?
密度効果とは、生物の個体数が増加し、生息環境内での密度が高まると、自然に個体数の増加を抑制するメカニズムが働く現象です。
この現象は、多くの生物種で観察されています。
例えば、ネズミの実験では、餌や水が十分にあっても、密度が高くなると繁殖率が低下することが確認されています。
有名な「カルホーンの実験」(1960年代)では、理想的な環境でネズミの個体数が増加すると、やがて社会的絆の崩壊、攻撃性の増加、繁殖行動の減少、そして最終的には個体数の急激な減少が起こりました。
魚類でも同様です。水槽の中で魚の数が増えると、成長が遅くなり、繁殖率が低下します。
重要なポイント
重要なのは、この調整が必ずしも「資源の不足」によるものではなく、密度そのものが引き金となって起こる点です。
つまり、食べ物が十分にあっても、単に個体密度が高いというだけで、繁殖抑制のメカニズムが働くのです。
人間社会における密度効果
では、この生物学的な密度効果は人間社会にも当てはまるのでしょうか?
答えは「はい」です。
都市化と出生率の相関
現代の先進国では、都市部への人口集中が進み、かつてない高密度の社会が形成されています。
東京、ソウル、香港、シンガポール──これらの高密度都市では、出生率の低下が特に顕著です。
2024年のデータによれば:
- 東京の合計特殊出生率:1.04
- 香港:0.77
- シンガポール:1.05
- ソウル:0.72
これらはすべて、人口を維持するために必要な2.1を大きく下回っています。
研究によれば、都市化と出生率の低下には明確な相関関係があります。都市部では、子育てのコストが高く、住宅が狭い傾向にあります。
社会的ストレスの増加
さらに、都市部では人間関係が複雑化し、SNSの発達によって社会的な相互作用の密度も高まっています。
これは、カルホーンのネズミ実験で観察されたような「社会的ストレス」の増加に類似した状況です。
高密度環境では、常に他者の存在を意識せざるを得ず、競争が激化し、プライバシーが減少します。これらはすべて、繁殖行動を抑制する要因となります。
r戦略からK戦略への移行
生物学には、「r戦略」と「K戦略」という概念があります。
二つの戦略
r戦略とは、多くの子孫を産み、それぞれへの投資は少なくする戦略です。魚類の多くがこの戦略を取っています。何千個もの卵を産みますが、そのほとんどは他の生物に食べられてしまいます。
K戦略とは、少数の子孫を産み、それぞれに多くの投資をする戦略です。哺乳類の多くがこの戦略を取っています。人間もK戦略の典型です。
興味深いことに、生物は環境が安定し資源が限られると、r戦略からK戦略へと移行する傾向があります。
現代社会での移行
人類社会でも、まったく同じ傾向が見られます。
先進国では出生率が低下する一方で、子ども一人あたりの教育投資は増加しています。
昭和の時代、多くの家庭では3人、4人、5人と子どもを産むのが普通でした。しかし、それぞれの子どもにかけられる時間やお金は限られていました。
現代では、1人か2人の子どもを持ち、その子に習い事をさせ、良い教育を受けさせ、多くの時間と資源を投資します。
これは、高密度・高競争社会において「量」より「質」を重視する適応戦略なのです。
そして、この戦略の極限が「子どもを持たない選択」です。
限られた資源を次世代に分散させるのではなく、自分自身の人生の質を高めることに集中する。これもまた、生物学的に合理的な戦略なのです。
反出生主義は「異常」ではなく「適応」

ここまでの議論から、重要な結論が導かれます。
現代社会で反出生主義者が増えているのは、「間違った思想に染まった」からではなく、高密度社会における生物学的に自然な適応反応なのです。
正常な生物学的機能
反出生主義者を「異常」「病んでいる」「破滅主義者」と批判する人がいます。しかし、
これは生物学的事実を理解していない発言です。
反出生主義者は、高密度社会において集団全体の個体数を適正に保つために、出生抑制側に調整された個体なのです。
高密度都市環境で育ち、ストレスホルモンに長期間さらされ、社会的競争の中で成長した個体は、脳の報酬系や内分泌系が「繁殖抑制モード」に調整されます。
その結果、「子どもを産みたくない」「この世界に新しい命を生み出したくない」という感覚が自然に生じます。
どちらも正常な反応
重要なのは、「どの個体が繁殖を抑制する側になるか」は、本人の意志や価値観ではなく、遺伝子、ホルモンバランス、胎児期の環境、幼少期の経験などの生物学的要因によって決定されるという点です。
「子どもが欲しい」と感じる人は、環境が安全で繁殖に適していると脳が判断した結果、そう感じているのです。
逆に、「子どもはいらない」と感じる人は、環境が不安定で繁殖に適していないと脳が判断した結果、そう感じているのです。
どちらも、生物学的に正常な反応であり、どちらが「正しい」「間違っている」という問題ではありません。
「人類が滅びる」は本当に問題なのか?
反出生主義への批判でよく聞かれるのが、「このままでは人類が滅びる」という主張です。
しかし、冷静に考えてみましょう。人類が滅びることは、本当に「悪いこと」なのでしょうか?
滅びは自然なプロセス
地球の歴史を振り返ると、滅びなかった種など一つもありません。
恐竜は約6500万年前に絶滅しました。ネアンデルタール人も約4万年前に姿を消しました。無数の生物種が繁栄し、そして消えていきました。
地球の生命の歴史45億年の中で、これまでに存在した生物種の99%以上が絶滅しています。
滅びは自然な現象であり、避けるべき「バグ」ではありません。むしろ、進化のプロセスの一部です。
宇宙的視点
科学的には、人類が存続することに特別な価値はありません。
宇宙の視点から見れば、人類が存在しようが絶滅しようが、何も変わりません。
地球は人類が生まれる前から存在していましたし、人類が滅びた後も存在し続けるでしょう。人類がいなくても、地球の生態系は何らかの形で続いていきます。
「人類は特別だ」「人類の存続には価値がある」という考え方は、科学的事実ではなく、人間中心主義という思想に過ぎません。
あなたも「釣られた」──アルゴリズムの支配
ここで、重要な事実をお伝えしなければなりません。
この記事を読んでいるあなた自身が、すでに生物学的アルゴリズムに従って行動している証拠なのです。
この記事のタイトルの意図
「反出生主義は正しすぎる!科学的根拠から徹底検証してみた」
このタイトルは、あなたの注意を引くために設計されたものです。
反出生主義を「正しい」と信じたい人は、自分の信念を補強する情報を求めてクリックします。反対に、反出生主義に反論したい人も、批判材料を探してクリックします。
どちらの場合も、あなたは確証バイアスという心理的メカニズムに従って行動しています。
私たちは操作されている
あなたがこの記事にたどり着いたのは、Google の検索アルゴリズム、SNS の推薦アルゴリズム、そしてあなた自身の脳内アルゴリズムの相互作用の結果です。
あなたは「自分の意志で」この記事を読んでいると思っているかもしれません。しかし実際には、様々なアルゴリズムに誘導されて、ここにいるのです。
これは、自由意志が幻想であることの実例です。
すべては後付けの解釈
「反出生主義」「出生主義」も同じです。
あなたが抱いているあらゆる「主義」「思想」は、背景に心理的・生物学的アルゴリズムがあり、その仕組みが環境・国家・政治・社会・SNS により誘導されたものに過ぎません。
あなたが「これが正しい」と感じているその感覚も、脳内化学物質と過去の経験によって形成されたものなのです。
まとめ──正しさは存在しない

最後に、この記事の核心をお伝えします。
反出生主義は、本来「正しい/間違っている」という種類のものではありません。
科学は価値判断をしない
科学は事実を扱います。「何が起こるか」を説明しますが、「何をすべきか」は教えてくれません。
- 繁殖は生物学的プロセスである→事実
- 人間は繁殖すべきである→価値判断(科学ではない)
- 密度効果は存在する→事実
- 反出生主義は正しい→価値判断(科学ではない)
反出生主義も出生主義も、どちらも科学的に「正しい」わけでも「間違っている」わけでもありません。それらは単に、異なる環境と条件下での、異なる生物学的反応なのです。
私たちはプログラムされている
あなたが子どもを持ちたいと思うのも、持ちたくないと思うのも、あなたの「選択」ではありません。
それは、遺伝子、ホルモン、脳の構造、過去の経験、現在の環境──これらすべての要因によって決定された、必然的な結果なのです。
そこに「異常」も「正常」も、「正しい」も「間違い」もありません。
ただ、機械的に実行されるプログラムがあるだけです。
今、あなたにできること
では、この事実を知った今、あなたには何ができるでしょうか?
まず、他者を批判することの無意味さに気づくことです。
反出生主義者も、出生主義者も、どちらも自分の意志で「選んだ」わけではありません。生物学的アルゴリズムに従って、そうなっているだけです。
したがって、「子どもを持たない人は自分勝手だ」という批判も、「子どもを産む人は無責任だ」という批判も、どちらも的外れなのです。
理解と共存
次に、多様性を受け入れることです。
高密度社会では、様々な繁殖戦略を持つ個体が共存することが、集団全体の適応度を高めます。
反出生主義者と出生主義者が共存することは、生物学的に見れば、種全体のリスク分散なのです。
自分自身を理解する
最後に、自分自身を理解することです。
あなたが何を感じ、何を望むかは、生物学的プロセスの結果です。それを「正しい」「間違っている」と判断するのではなく、ただ「そうである」と受け入れること。
これが、科学的な視点を持つということです。
結論──科学は自由をもたらす
「反出生主義は正しい」という主張も、「出生主義が正しい」という主張も、どちらも科学的には無意味です。
科学が教えてくれるのは、私たちは生物学的アルゴリズムに従って動くシステムであり、私たちの「選択」や「信念」も、そのアルゴリズムの出力に過ぎないという事実です。
しかし、この事実は絶望的なものではありません。
むしろ、この理解は私たちを解放します。
「こうあるべき」という社会の押しつけから。「正しい生き方」という幻想から。「自分は間違っている」という罪悪感から。
あなたがどのような選択をしても、それは生物学的に必然的な結果であり、批判されるべきものではありません。
子どもを持つことも、持たないことも、どちらも「正しい」選択です。なぜなら、「正しさ」という概念自体が、人間が作り出した幻想だからです。
大切なのは、自分の置かれた状況、自分の感じ方を理解し、他者の選択も尊重することです。
私たちは皆、同じ生物学的アルゴリズムに従って動く、有機化合物の集合体に過ぎません。
その事実を受け入れたとき、初めて真の理解と共存が可能になるのです。


