ここ数年、日本社会の空気は、目に見えないところで大きく変質しています。
とくに「恋愛」や「男女関係」をめぐる価値観は、かつてとはまったく違うものになりつつあります。その変化を、なんとなく肌で感じている男性は少なくないでしょう。
少し前までなら、恋愛は人生の楽しみの一つであり、努力すれば報われる可能性のあるものだと考えられていました。多少の失敗やすれ違いがあっても、「経験として糧になる」「次に活かせばいい」と受け止められていたはずです。しかし今、多くの男性が感じているのは、そうした前向きな感覚ではありません。
「恋愛は、うまくいかなかったときの代償があまりにも大きい」
「一歩踏み込んだだけで、人生が詰む可能性がある」
こうした恐怖が、現実的なものとして意識されるようになっています。
その背景にあるのが、いわゆる不同意性交罪の存在です。この言葉を聞いて、「難しい法律の話」「自分には関係ない」と感じる人もいるかもしれません。しかし、それは非常に危険な認識です。
なぜならこの法律は、特別な犯罪者や極端な事例だけを対象にしているわけではなく、ごく普通の恋愛関係の延長線上にまで影響を及ぼす可能性があるからです。
交際していた。デートを重ねていた。お互いに好意があると思っていた。性的な関係も、その流れの中にあった。
こうした「よくある恋愛の一場面」が、別れた後の一言によって、突然「犯罪の疑い」に変わる。これが、現代日本で実際に起こり得る事態なのです。
「後から同意していなかったと言われるなんて、そんなの極端すぎる」
「普通の感覚を持った人なら、そんなことはしないはずだ」
そう思いたくなる気持ちは分かります。しかし、現実はすでにその“普通”が通用しない段階に入っています。実際に、元交際相手から刑事告訴され、警察が捜査に動いたという報道は、すでに複数存在しています。そして重要なのは、その多くが暴力や脅迫といった分かりやすい犯罪行為を伴っていないという点です。
「嫌だとは言えなかった」
「そのときは断れなかった」
「後になって考えると、すごく苦痛だった」
こうした気持ちの変化や事後的な感情が、刑事事件の入口になっているのです。
この現実を正しく理解したとき、多くの男性が同じ結論にたどり着きます。
「これはもう、安心して恋愛できる環境ではない」
この感覚は、決して被害妄想でも、極端な思想でもありません。法律と運用の現実を冷静に見た結果として、ごく自然に生まれる感情なのです。
不同意性交罪とは何が変わったのか

不同意性交罪は、2023年の刑法改正によって新たに導入された比較的新しい犯罪類型です。それ以前は「強制性交等罪」という名称で、性犯罪は主に「暴行や脅迫があったかどうか」を中心に判断されていました。
つまり、従来の考え方では、「明確に拒否できないほどの力が使われたか」「怖くて逆らえない状況だったか」といった点が重要視されていたのです。少なくとも、外形的に見て“無理やりだった”と分かる要素が必要でした。
しかし、不同意性交罪では、この前提が大きく変わりました。
新しいルールを一言で表すなら、こうなります。
「相手の同意がなかったと評価されれば、それだけで犯罪が成立し得る」
ここで重要なのは、「本人が同意していなかったと後から主張した場合、その評価がどうなるか」という点です。法律上は、同意がないと判断される状態として、いくつもの具体例が挙げられています。
たとえば、
・お酒を飲んでいて判断力が落ちていた
・突然の出来事で驚いてしまった
・断る雰囲気ではなかった
・年齢差や立場の違いがあった
・人間関係を壊したくなかった
こうした事情があると、「同意がなかった可能性がある」と解釈される余地が生まれます。一つひとつを見れば、弱い立場の人を守るための配慮だと感じる人も多いでしょう。
しかし、ここに決定的な問題があります。
それは、これらの多くが、すべて事後的に語ることができてしまうという点です。
行為の最中に拒否していなかったとしても、笑顔だったとしても、恋人同士だったとしても、関係が終わった後に「実は嫌だった」「同意したつもりはなかった」と言えば、その主張自体は否定されません。そして、その言葉をきっかけに警察が動き、捜査が始まる可能性があるのです。
一方で、男性側はどうでしょうか。
「同意はあったと思っていた」
「相手も受け入れているように見えた」
こうした感覚は、ほとんどの場合証拠として成立しません。録音や動画を取ることなど現実的ではありませんし、そもそもそんな行為自体が異常です。
つまりこの法律は、同意がなかったことは主張できるが、同意があったことは証明できないという、極めて一方通行な構造を持っているのです。ここに、男性側から見たときの最大の恐怖があります。
なぜ男性だけが不利になる構造なのか

不同意性交罪がここまで強い不安を生む理由は、法律の条文そのものだけではありません。実際の運用における圧倒的な非対称性が、男性にとって致命的な問題になっています。
現実として、訴える側の多くは女性であり、訴えられる側の多くは男性です。これは偶然ではありません。社会的な構造、力関係、性別役割意識など、さまざまな要因が重なった結果です。
警察や検察は、基本的に「被害を訴える側の心情」を重く見ます。これは性犯罪の特性上、一定の合理性があります。しかしその結果、男性は捜査の初期段階から加害者候補として扱われることになります。
たとえ最終的に不起訴や無罪になったとしても、その過程で男性が被るダメージは計り知れません。
・警察からの突然の呼び出し
・職場や家族への説明
・周囲の視線の変化
・SNSやネット上での噂や憶測
・「性犯罪で調べられた人」という消えないレッテル
これらは、正式な判決が出る前から、男性の社会的信用を破壊します。そして恐ろしいことに、これらの損害は、無罪になっても元には戻らないのです。
一方、告訴する側にとってのリスクはどうでしょうか。
虚偽告訴が成立するケースは極めて稀で、事実上、「嫌だったと感じた」と言えば大きな責任を問われることはほとんどありません。
「後から言えばいい」
「警察が動いてくれれば、それで十分」
こうした発想が成立してしまう環境そのものが、男性にとっては地雷原です。どれだけ誠実に振る舞っても、どれだけ相手を尊重しても、最後にすべてをひっくり返される可能性がゼロにならない。この不確実性こそが、恋愛を避ける男性が増えている最大の理由なのです。
恋愛がハイリスク行為になった理由

かつて恋愛は、人生を彩る自然な営みだと考えられてきました。学生時代に好きな人ができ、社会人になってからも誰かと出会い、やがて結婚し、家庭を持つ。こうした流れは、多くの人にとって「普通の人生」の一部でした。
しかし、今の日本では、その「普通」が急速に崩れています。特に男性にとって、恋愛はもはや気軽に踏み出せるものではなくなりました。
なぜなら現在の恋愛は、成功しても得られるものは限定的なのに、失敗したときの損失があまりにも大きいからです。
実際、若い世代を中心に「恋人がいない」「恋愛をしていない」と答える人は増え続けています。厚生労働省や各種研究機関の調査を見ても、未婚率の上昇、交際経験のない層の増加は明確な傾向として示されています。
これは単なる一時的な流行ではなく、社会構造そのものが変化している証拠です。
もちろん、経済的な理由や価値観の多様化も影響しています。給料が上がらない、将来が不安、結婚に魅力を感じない。そうした要因は確かに存在します。しかし、それ以上に多くの男性が口にするのが、恋愛に伴うリスクの大きさです。
・別れた後に、相手が何を言い出すかわからない
・善意や誠実さが、まったく評価されない可能性がある
・自分ではどうにも証明できないことで、責任を問われる
これらは、どれも机上の空論ではありません。実際に起きている、そして今後も起こり得る現実です。恋愛は本来、信頼や好意を前提にした行為のはずでした。しかし今では、その前提そのものが崩れています。
リスク管理という観点で考えたとき、「最初から関わらない方が安全」という結論に達する男性が増えるのは、むしろ合理的です。危険が高く、回避不能で、失敗したときの代償が人生単位になる行為に、あえて挑む理由はありません。
こうして恋愛は、楽しみではなくハイリスク投資のような位置づけに変わってしまったのです。
性交同意書という歪んだ防衛策

恋愛がここまで危険視されるようになった結果、一部で語られるようになったのが「性交同意書」という考え方です。
性的関係を持つ前に、双方が同意していることを文書で確認する。日付や署名を残し、後からトラブルにならないようにする。理屈だけ見れば、リスク回避策の一つのように見えるかもしれません。
しかし、ここで一度立ち止まって考える必要があります。
恋愛や性的関係とは、本来そこまで警戒しなければ成立しないものなのでしょうか。
信頼関係があり、好意があり、お互いに惹かれ合っているからこそ成り立つのが恋愛です。そのはずの行為に、契約書のようなものを持ち込まなければならない社会は、明らかにどこか歪んでいます。
さらに問題なのは、性交同意書が万能な防御策ではないという点です。
たとえ文書があったとしても、
「同意書を書くように強要された」
「その場の雰囲気で仕方なくサインした」
「途中で気持ちが変わったが、言えなかった」
こうした主張がなされれば、同意書の効力は簡単に揺らぎます。結局のところ、書面があっても、最終的には「気持ち」の問題に帰着してしまうのです。
つまり、どれだけ対策を講じても、男性側が100%安全になる方法は存在しないということになります。これが、多くの男性を絶望させている最大の理由です。
リスクを下げる努力はできても、ゼロにはできない。その不確実性を抱えたまま恋愛を続けることに、耐えられなくなる男性が増えるのは当然でしょう。
少子化が止まらない本当の理由

恋愛が減れば、結婚も減ります。結婚が減れば、当然子どもも減ります。
これは感情論ではなく、単純な因果関係です。
しかし、日本の少子化対策の議論では、なぜかこの前段階である「恋愛の萎縮」について、ほとんど触れられません。給付金、補助金、制度設計といった話は盛んにされますが、安心して異性と関われる社会かどうかという視点は、驚くほど軽視されています。
特に皮肉なのは、リスクを正しく理解できる真面目な男性ほど、恋愛から撤退していく点です。
法制度や社会の空気を読み、自分の身を守ろうとする人ほど、「これは割に合わない」と判断してしまうのです。
その結果、恋愛市場に残るのは、
・リスクを深く考えない人
・その場の感情だけで動く人
・失うものが少ない人
こうした層になりがちです。これは男性側にとっても、女性側にとっても決して良い状況ではありません。「普通で誠実な相手」が市場から消えていくからです。
少子化が進むのは、若者の意識が低いからでも、努力が足りないからでもありません。安心して関係を築ける土台が壊れているからです。この問題を直視しない限り、どれだけ表面的な対策を重ねても、流れは変わらないでしょう。
男性が自分を守るために選ぶべき道

では、現代の男性はどうすればいいのでしょうか。
答えは、驚くほどシンプルです。
「無理に恋愛しない」という選択を、自分自身に許すこと。
これは逃げでも、敗北でもありません。リスクとリターンを冷静に比較した上での、極めて合理的な判断です。
恋愛をしなくても、人生は問題なく成り立ちます。
・仕事に集中し、専門性を高める
・趣味や学びに時間とお金を使う
・友人や家族との関係を大切にする
・経済的な余裕と自由を確保する
これらはすべて、恋愛をしなくても手に入るものです。むしろ、恋愛に伴う不安や緊張から解放されることで、精神的な安定を得られる人も少なくありません。
「恋愛をしない人生は寂しい」というのは、あくまで一つの価値観に過ぎません。今の時代、幸福の形は一つではありません。
これからの時代を生きる男性へ
不同意性交罪が存在する限り、恋愛は「運が悪ければ人生が終わる行為」になってしまいました。
これは大げさでも、過激な煽りでもありません。法律とその運用、そして実際に起きている事例を冷静に見た結果として導かれる結論です。
あなたの人生は、誰かの感情の変化や、社会の矛盾のために消耗されるものではありません。
「普通は恋愛するものだ」「男なら彼女くらい作れ」という古い価値観に、無理に従う必要はないのです。
まずは情報を知り、現実を理解し、自分の身を守る選択をしてください。
それが、これからの時代を生き抜くための、最も現実的で賢明な行動です。
恋愛をしない勇気。
それは逃げではなく、現代日本における一つの成熟した生存戦略なのかもしれません。


